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東京地方裁判所 昭和37年(行)106号 判決 1963年5月29日

原告 高田昌沃こと高昌沃

被告 法務大臣・東京入国管理事務所主任審査官

訴訟代理人 片山邦宏 外三名

主文

本件訴を却下する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告は、「被告らが原告に対してした出入国管理令に基づく退去強制処分は、これを取り消す。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決を求めた。

請求原因の要旨は、原告は韓国人であるところ、昭和三二年頃旧外国人登録令第一六条第一項第一号該当容疑で、退去強制手続を開始され、所定の手続を経て、昭和三二年八月五日付で、被告東京入国管理事務所主任審査官から退去強制令書を発付されたが、右退去強制処分は違法であるから、その取消を求める、というのであつて原告が処分の違法原因として主張するところは、別紙添付の訴状記載のとおりである。なお、被告の本案前の主張に対し、原告は、次のように述べた。

原告が被告主張の日に、韓国に強制送還されたことは認めるが、これにより本訴が訴の利益を欠くに至るものでないことは以下に述べるとおりである。すなわち、原告は出入国管理令による退去強制手続に基づき、同令第二四条各号の一に該当する者として本邦から退去を強制されたので、この退去強制処分が本訴判決によつて取り消されない限り、同令第五条第一項第九号により退去強制の日から一年間は、再び本邦に適法に上陸することができないこととなる。従つて、本訴で勝訴判決を得ることにより、この法律上の不利益を除去する必要があるので、原告が強制送還されることによつて直ちに訴の利益が消滅するものではない。もつとも、原告は被告主張のように昭和三一年四月一二日渋谷簡易裁判所において、窃盗罪により懲役一年六月の言渡しを受け、この事実は同令第五条第一項第四号の本邦への上陸拒否の事由に該当するが、原告は昭和三二年一〇月一一日刑の執行を受け終つたので、刑法第三四条の二により、昭和四二年中には、刑の言渡しは効力を失い、適法に本邦に帰来できるというべきであり、従つて、本訴の利益はなお失われていない。以上のとおり陳述した。

被告らは、主文同旨の判決を求め、本案前の主張として次のとおり述べた。

原告は、昭和三二年八月五日付被告東京入国管理事務所主任審査官発付の退去強制令書に基づき、すでに昭和三七年一〇月一二日大村港から韓国に向け、強制送還された。従つて、本訴は訴の利益が消滅したというべきである。なお、原告は昭和三一年四月一二日渋谷簡易裁判所において窃盗罪で懲役一年六月の言渡しを受け、昭和三二年一〇月一一日に右刑の執行を終つたもので、原告に対する退去強制は、旧外国人登録令第一六条第一項第一号該当の外、出入国管理令第二四条第四号リ該当によるものである。

理由

原告が本訴において取消を求めているものと解される昭和三二年八月五日付退去強制令書が執行され、原告が昭和三七年一〇月一二日韓国に向け、強制送還されたことは当事者間に争いのないところである。してみると、右退去強制令書の目的は達成され、その効力は終了し、同じ令書によつて再び退去強制の執行が行われることはあり得ないこととなつたことは明らかである。従つて、退去強制令書の効力が終了したにかかわらずなお回復すべき法律上の利益を有すること(行政事件訴訟法第九条参照。)につき特段の主張立証がない限り、本訴は、もはや訴の利益を欠くに至つたものと解さねばならない。原告は、この点について、出入国管理令第五条第一項第九号によると、同令第二四条各号(第四号オからヨまでを除く。)の一に該当して本邦から退去を強制された者で退去した日から一年を経過しない外国人は、本邦に上陸することができないこととなるから、たとえ、退去強制令書が執行されたとしても、右のような本邦に上陸することの障害を除去する必要がある限りにおいて、なお右令書の取消を求める利益があると主張しており、若し原告が一年以内に本邦に上陸する可能性があり、かつ他に上陸拒否事由がないことを前提とすれば、原告が右に主張するような事情は、退去強制令書の効力が終了した後においても、なおその取消を求める利益があるものと解すべき特段の事由に該当するものと解すべきことは、原告の主張するとおりである。しかしながら、原告は昭和三一年四月一二日渋谷簡易裁判所において、窃盗罪で懲役一年六月の言渡しを受けたことは当事者間に争いのない事実であり、従つてこの言渡しの効力は、刑法第三四条の二の規定により、刑の執行を終えた昭和三二年一〇月一一日から一〇年を経過したときに初めて消滅するのであるから、原告には、昭和四二年一〇月一〇日までなお出入国管理令第五条第一項第四号該当の上陸拒否事由があり、仮りに退去強制処分を受けたという上陸拒否事由がなかつたとしても、どのみち上陸を拒否される運命にあることは明らかである。それ故、同条第一項第九号を根拠として訴の利益があることを理由づけることは不可能であり、結局本訴は、原告の強制送還によつて訴の利益を欠くに至つたものといわねばならない。

なお、本訴は出訴期間経過後に提起されたものと認められ、この点からも不適法として却下を免れないものである。

よつて、原告の訴を却下することとし、訴訟費用の負担については民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 白石健三 浜秀和 町田顯)

訴状

請求の趣旨

一、被告等が原告に対してなした出入国管理令に基く退去強制処分はこれを取り消す。

二、訴訟費用は被告等の負担とする。

との判決を求める。

請求の原因

一、原告は、昭和五年東京都葛飾区堀切町に出生し、当時在日の韓国人父母の膝下に生育し、同地の小中学校を卒業の後、あたかも昭和二十年終戦直前日本の戦況非なるに伴い兵役を志願して渡鮮し、同地において終戦をむかえたが、昭和二十三年五月二十六日本邦にある実父高京真の許に帰り、父の許にあつて早稲田大学法学部に通学のかたわら、父を輔けてタイヤ工場など実父の家業に従事し、昭和三十二年実父死亡の後も引続き東京において不動産仲介業を経営し、その間昭和三十三年六月には日本人妻土屋安子(当時二十三歳)を娶つて家庭を営み、義母高ヒサおよび妻ならびに義弟高昌俊(中学校在学)、同高昌秀(小学校在学中)を扶養し、現に東京都目黒区三田一六〇番地に寿司および魚類の小売を目的とする「吉昌」なる有限会社を設立してこれに出資し、新事業経営にあたるなど、戦前戦後にわたる長期の在日経歴および相当の在日資産を保有して現在に及んでいるものである。

二、原告は、昭和二十三年本邦に帰来後、たまたま、刑事事件により一年余服役したが、当時かねて原告が昭和二十三年本邦に帰来するにあたり連合軍最高指揮官の許可を得ないで本邦に入国したというかどをもつて、外国人登録令第十六条第一項第一号(不法入国)違反として、東京入国管理事務所において、出入国管理令違反者に対する退去強制手続を開始され、東京入国管理事務所収容場に収容されたが、幾何もなくして仮放免の許可を得身柄不拘束のまゝ審査および口頭審理など訴願を経て、法務大臣に対する異議申立も効なく、被告法務大臣の異議申立理由なしとの裁決に基き、昭和三十二年八月五日被告東京入国管理事務所主任審査官の発した退去強制令書の執行を受けて出入国管理令第五十二条第五項にもとずき入国者収容所に収容されるべきところ、その頃同令第五十四条にもとずき退去強制中の仮放免の許可を受け、該許可は、昭和三十七年五月初頃まで四年余にわたり、一ケ月ごとに更新され、その間、原告は現に適法に本邦に在留する外国人と同様に、本邦において引き続き営々として自己の事業経営と妻および家族の扶養にあたり、ますますその生活の基盤を固めざるを得なかつた。

三、昭和三十七年五月九日にいたり、東京入国管理事務所警備官は、突如として、格段の事情もないのに拘らず従来長期にわたり繰返し来つた仮放免許可の更新を許さず、何等の予告もなく、且つ類似の事情下において仮放免の許可を継続され居る不法入国韓国人が原告以外に多数存在し居る事実にも拘らず、本邦出生以来僅か両三年間の滞鮮期間を除き生活歴の大半を本邦に送り拮据家業の経営に挺身して日本人を含む全家族を扶養しつゝ病身懐妊中の妻女を擁する原告を、前記退去強制令書にもとずき東京入国管理事務所に収容し、同月十五日さらに原告の身柄を大村入国者収容所に押送し、来る十二日出港予定の韓国向け送還船によつて韓国に送還すべく乗船名簿その他一切の手続を強制的に完了した。

四、しかしながら、原告は前陳のごとく、東京に生れて東京に生育し、現在に至るまで終戦前後両三年を除いて専ら本邦において生計を営み、朝鮮語を解せず韓国に何等生活の基礎なく、却つて本邦においては会社経営その他現に係争中の案件もあり妻は病身であまつさえ懐妊すでに数ケ月に及び、原告にして、もし、来る本月十二日退去強制処分により韓国に強制送還されるにおいては、本邦における一切の生活資産を一朝にして失うとともにその扶養する妻子家族をして路頭に迷わしめ、しかも、旧来の日韓関係の実情にかんがみ、正式の国交の回復の見込もなく、旅券を得て正規に本邦に渡航して現在の家業と生活を復活することの殆ど絶望であることは、火を睹るよりも明らかである。換言すれば、原告は、本件退去強制処分の完了により、その在日財産を含む一切の生活手段と妻子家族を扶養する途を失い、これらを本邦に遺棄せしめられる結果となるのみならず、再び適法に本邦に渡来する途は皆無である。憲法第十三条は「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を要する。」としている。この規定にいわゆる「すべて国民は、」とは主として日本国民を、しかし、事情の許すかぎり、外国人にもこの規定の準用される趣旨であることは、定説である。この規定は、個人主義の原理を表明したものであり、「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」とは抽象的には基本的人権に外ならぬと理解されている。その天賦人権の具体的内容としてこゝに挙げられたのに「幸福の追求」がある。本件訴状において、前に第一項及び第三項に詳述した通り、原告は、本件退去強制処分を甘受することによつて、自己の生活手段を失い、妻子親族との幸福な家庭を捨てて言語を通じない異郷の本国に送還され、流刑に等しい境遇に陥り、妻子家族は本邦において一家の生計の唯一の担い手たる原告を失つて、送還の翌日から生活の途を失い、原告およびその家族の幸福追求の権利は殆ど顧みられないことになつている。「公共の福祉に反しないかぎり、立法その他の国政の上で最大の尊重を必要とする」はずの基本的人権は本件の場合において、退去強制処分なる一片の行政処分によつて、少くとも、原告およびその扶養する家族については蹂躙されつゝあるといわねばならぬ。本件退去強制処分が憲法第十三条に違反する違法の処分でないとするには、本件退去強制およびその準拠する法規が公共の福祉に適するものであることを証せねばならぬであろう。そこで、本件原告の現に受けつつある退去強制処分が公共の福祉のため果して必要であつたかについて、次項以下において検討する。「公共の福祉」に反しないかぎり、尊重されねばならぬ原告及びその家族の基本的人権からすれば、公共の福祉のために本件処分が必ずしも必要欠くべからざるものでないことが明らかとなるにおいては、本件行政処分は、違法として取り消されねばならぬことになるからである。

五、「公共の福祉に反しない限り」という用語は、憲法第十三条にあるが、さらに、憲法第二十二条にも「何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない」とある。本件退去強制処分は、その本質上、内外人を問わず享有すべき天賦人権として世界人権宣言にも規定する居住、移転の自由と不可分の関係を有する。そして、憲法は、公共の福祉に反するにおいては、居住、移転の自由も、また、「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」と同じく、これを制限することができるものともしているのである。原告に対する退去強制処分の事由は、外国人登録令第十六条第一項第一号であつて、その内容は、要するに外国人の本邦入国には、連合国最高指揮官の許可が必要であるのにこれを得ないで入国したというにある。そして、外国人登録令は、昭和二十二年五月二日ポツダム勅令第二〇七号として連合国占領下において公布施行され、昭和二十六年十一月一日現行の出入国管理令が施行されてこれに代り、昭和二十七年四月二十五日の平和条約発効を迎えた。さて、この平和条約はその第二条に、朝鮮及び台湾は、条約発効の日をもつて日本国の領土から分離する、と定めたところから、朝鮮人および台湾人は、平和条約発効の日をもつて日本国籍を喪失し外国人であるとされることになつた。されば、往年の外国人登録令は、「外国人」の入国に関する措置を適切に実施し、かつ「外国人」に対する諸般の取扱の適正を期することを目的とする、とその目的を明定しながら奇怪にも、当時日本国籍を有する朝鮮人および台湾人等を「外国人」として不法入国等の規制の対象としていたわけである。そして、原告は、この間において、昭和二十三年五月二十八日、本邦島根県海岸に朝鮮より帰航上陸したのである。それは、外国人登録令施行中のしかも憲法施行下のことであつた。およそ、いかなる国においても、自国の国籍を有する者すなわち自国民を、理由の如何を問わず、たとい公共の福祉に反する場合においてすら、外地から帰還するのに対して入国を拒否する制度はない。国際法上も自国民の引取は当該国家の責任であり、わが現行の出入国管理令にも、勿論そのような規定はない。わずかに、占領下の異常事態とはいえ、昭和二十一年三月、連合国総司令部が「朝鮮人、中国人、台湾人、南西諸島人は、連合国最高司令官の許可のないかぎり、商業交通の可能となるまで日本への帰還は許されない」旨を指示し、昭和二十二年外国人登録令の施行後も同令の規定によらず、総司令部の覚書にもとずき現地軍政部の指示により、許可を受けないで本土に帰還または渡来した朝鮮人たる日本国民を送還処理し、昭和二十四年九月以後にいたり、ようやく、同令にもとずく強制退去手続による送還が行われた。しかも、当時同令の下においては、現行の出入国管理令にもとずく退去強制手続と全く趣を異にし、検察官の請求により都道府県知事が退去強制令書を発して警察の手によりその執行が行われた。そして、送還該当者のうちには連合国総司令部に嘆願書を提出し在留を許可されるものもあつたのであり、原告にして当時もし総司令部に嘆願の途をとつていたにおいては、本土に出生成育し、両親も本土にありながら、もと志願により軍に加わるために渡鮮し、丁年にも達しない少年の原告が昭和二十三年当時連合国最高指揮官の許可を得るすべも弁えないまゝに本土帰還の挙に出でた本件につき、在留の許されなかつたとは断言できないであろう。しかも、当時の連合国総司令部の前記指示は、「商業交通の可能となるまで」という不確定期限を附したとはいえ所詮天賦人権を侵し国際法に反するものであるそしりを免れないものであり、これを踏襲して立法化した外国人登録令第十六条第一項第一号は、さらに憲法違反の譏をも免れないものといわねばならぬ。原告が日本国籍を保有して本土に帰投した当時において、原告の如き前記の経歴および本土出入の事情を有する者の本土帰還が公共の福祉に反するものであるとは、占領下における特殊の一時的政策を顧慮しても到底これを首肯するに足りないからである。

殊に、その後昭和二十七年平和条約発効の日に公布施行された法律一二六号「ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く外務省関係諸命令の措置に関する法律」は、その第二条第六項において、わが国が降服文書に調印した昭和二十年九月二日以前から引続いて本邦に在留する朝鮮人、台湾人に対しては、別に法律に定めるまで当分の間在留資格を有しないで在留することができると規定し、その「法律」は十年後の今日なお制定されないまゝに、例えば原告の亡父の如くこれら戦前から継続して本土等に在る朝鮮人は、いわば半永久的在留権を獲得し、その間僅かの期間でも渡鮮ないし渡台したものは、一転して、原告の如き日本国籍を有しながら不法入国の取扱をうけるという不公平も甚だしい事態を招いているのである。かくの如きがいかにして、公共の福祉の維持の名の下に許され得るものであろうか。

六、原告は、昭和二十三年五月本土島根県海岸に渡航上陸し、該事実が昭和三十三年に発覚して外国人登録令第十六条第一項第一号に問擬され、現行の出入国管理令による本件退去強制手続の端緒をなしたことは、前記第一項ないし第三項に述べた通りである。およそ、公共の福祉は、社会秩序の維持をその重大な内容とするのであることはいうまでもない。こゝにおいて一定の事実状態が長期にわたり継続した場合において、真実の法律関係の如何に拘らず、現在の状態に適応する法律効果を生ぜしめるのが時効の制度の立法理由であることは、今更多言を要しない。出入国管理令乃至外国人登録令が何故に時効乃至これに類する制度をとり入れなかつたかは理解に苦しむところであるが、その趣旨は、恐らくは、少くとも現行出入国管理令に関する限り、法務大臣の裁量による在留特別許可処分において十分に時効制度の精神を汲む良識に期待したものと考えられる。不幸にして出入国管理行政の実情は、退去強制手続における在留特別許可の運営に関し果してこの期待を全うしているか否か甚だ疑なきを得ないのはさておき公共の福祉に通ずる時効の精神を遺却した退去強制処分は、その点のみをもつてしても違法の非難を甘受せねばならぬ。

七、これを要するに、本件原告に対する退去強制処分は、さしあたり、憲法第十三条および第二十二条に反する違法のものであるから、取り消さるべきものと信じ、本訴に及ぶ次第である。

爾余の論点については、追つて、必要に応じ準備書面を提出する。

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